祖母が死んで、祖父と2人、
80歳になる祖父と子供の私ではお互い面倒を見られない、という事で父の弟で
ある叔父が家の跡取りとなり、祖父を見ていくことになりました。
と言う事で、私は東京に住む父や兄達と暮らすため、引き留める人のいない山陰
の地を一人離れるという憂き目に遭い、迎えに来た長兄に伴われて戦後の東京に
移り住みました。 連れられて来たのは「バラック」と言われる住いで、
東京には生母の妹が夫を亡くし、父と結婚して3歳年下の妹。
3人の兄と次姉、母の連れ子のお兄さんがいて9人家族です。
父は米軍庁の経理をやって居て勤務先からあてがわれたマンションに住み、金曜
日の夜帰ってきて、月曜日の朝戻ります。
生母の妹で父の後妻でもある第2の母を兄たちは「おばさん」と呼んでいまし
た。 東京に来た私も真似をして「おばさん」と言ったら、「おばさんと言う子
は嫌いよ」と言われて気付きました。 兄達はその母に懐かなかった。
そのせいか兄達と父母は仲が悪く特に下の兄は事有るごとに父とやりあっていま
した。 兄達を軍人にしたい祖父の考えで長兄は海軍兵学校、次兄は陸軍に行っ
たのですが、三男坊の兄は医者にしたい、と言う父の願いを拒否して、それが争
いの種だったのです。
その兄は私が同居して1年ほど、15歳で家出をしてしまいました。
父は私の山陰訛りの言葉使いが気に入らなかったようで、三男坊の兄が居なくな
ってからは私がターゲット。
父を避けるようになりました。
20歳になった頃、私も長兄と家を出る話が持ち上がります。
長兄がパイロットになり、本門寺さんの近くに部屋を借りた為一緒に住まないか
と言う誘いでその気になったのです。
パイロットの兄は帰宅が不規則でいない事が多く、私は一人で寝起きして日比谷
の会社に通っていました。
何か月か経ったある日曜日。 15歳で家を出た兄が訪ねて来ました,
私とは仲良しだったけど、医者になるのが嫌で父と衝突して出て行った兄は昼間
建築現場で働き、夜は飲み屋横丁でギターを抱えた流しをやって居ました。
歌手になりたかったのですね。
その兄が言うには、建築会社の仲間に誘われ、飲み屋に通う内、体を壊してしま
ったので建築会社を辞めて普通に働き、飲み屋で知り合った彼女と結婚したい。
其の為い今の住まいを出ることにしたので、当分此処で住まわせて欲しい、と言
う話です。
私たちにイヤはありません。1部屋ですが10帖以上のの広さで、私の寝床は押
入れの上段で、充分3人が暮らせたのです。
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